シティコープ・タワーの危機(1)

シティコープタワーはニューヨーク、マンハッタンのスカイラインを彩る超高層ビルの1つです。  約35年前に完成したこの超高層に起きた、ハラハラドキドキするドラマを紹介。

サスペンス映画も顔負け、「事実は小説より奇なり」を地で行くストーリーです。


今日は9/11。NY WTC事故より13年。犠牲者の方々に黙祷を捧げつつ、別の超高層の危機のお話を。

恐縮ながらハリウッド大作映画なみの長文です(ひと読み20分) (>_<)

そのため2つに分けました。まず今回、前編はストーリーそのものの本編。

後編はそれに対する分析です。 コチラ

また、以降の写真は主に末尾に示すyoutubeより。

高さ280m、59階建てのシティコープタワー。屋根の三角が目印。シティバンク(citi bank)で有名な金融会社シティグループが入居していました。なお現在はオーナー変更により名を変え601レキシントンアベニューと呼ばれています。

このビルの構造設計を担当したのは当時すでに超高層の設計で名を馳せていたWilliam J.Lemessurier ウイリアム・ルメジャー氏(写真)。

今回のストーリーの主人公です。

なお建築家はHugh Stubbins ヒュー・スタビンス氏。横浜ランドマークタワーの基本デザイナーとして知られます。 ■教会のために角がオープン

本建物の最大の特徴はトップの三角屋根ではなく、むしろ足元です。

同ビルの計画地には当時すでに教会が立っており、同ビルを建てるに当たって、一度教会を解体した後、また元の位置に立て直すよう要望されました。

コレに対し、設計チームのルメジャー氏は一風変わったアイデアをひらめきました。 それは、建物の柱を通常の建物の隅でなく側面の中央4箇所に置き、角はオープンにするという案でした(下左図:平面概形。赤丸が教会)。 

さらには教会がアタマをこすらないよう、ビル全体をその4本の柱で地上35mまで持ち上げることとしました。

右図はルメジャー氏のスケッチ。ギリシャ料理のレストランで食事中にひらめいてナプキンに書いたとのこと。

持ち上げられた上層部には、風などの横方向力に抵抗する、8層分の高さを貫くV型のメガブレースが設けられています。

そんなダイタンなアイデアでしたが設計、施工を経て1977年、無事完成。教会も約束通り元の位置に復元されました(上写真、左の三角屋根)。■6月 序章:学生からの無邪気な電話

それから1年後。6月のある日。シティコープのことも忘れかけていたルメジャー氏に1本の電話が。電話の主はアメリカ国内で建築を学ぶ学生。

電話の向こうでその学生さんはこう言いました。

 「柱が隅にないけどダイジョウブなんですか?」

 無邪気とも言えるその質問。その学生、指導教授の元で同ビルについての論文を書いており、その過程でビルの斜め方向から風が吹いたらその特徴的な柱配置のために不具合が生じるのでは、と電話してきたのです。

はは。。ダイジョウブだよ。

ルメジャー氏はそれに対し懇切丁寧に同ビルの設計について説明し、現況の設計で問題ないこと、また参考となる文献などを教え、電話を切りました。

■問題発覚

忘れかけていた仕事について思い出したルメジャー氏。自身も大学で教鞭をとっていたためこれはいい機会だと思い、コープタワーを題材とした簡単な計算問題を授業で取り上げることとしました。

まずは授業の下準備として自分一人でやってみることに。

最初に建物に正対するような。。いわゆるX or Y方向からの風が吹いた時に柱に掛かる力を計算してみました。

ふむふむ。こうなるよね。。

高名なプロの設計者には朝メシ前。キスよりカンタン(古っ)です。

次に、斜め45度方向から力から風圧力が掛かった時に柱の力はどうなるかをやってみました。

あの学生が心配してたけどね。。普通、斜めからの時は小さくなるんだよ。。

こちらもキスよりカンタン(二回目)のはずですが。。

あれっ。。これは。。?

。。。。。。。。。。。。。 

計算を進めていた氏の手は止まり、顔は固まり、青ざめて行きました。

45度方向からの風の時は正対:XYの時よりも柱の力は小さくなると思っていたものが結果はなんと逆。。それどころかむしろ1.4倍に大きくなってしまったのです。

(左:正対方向:X or Y方向からの風圧

右:斜め45度方向ルメジャー氏スケッチ。クリックで拡大)

おいおい。。なんてこった。参ったぞ。。こんなの設計の時には気づかなかったけど、えらいことだぞ。。 もうビルは完成して、今や何千人がそこで働いているんだよ。。

こりゃ週末のワイフとのスシ・パーティはお預けだな(アメリカンジョーク)

そんなジョークをいう余裕は 1ミリも なかったはずです。目の前は真っ暗、心臓の鼓動は当時ラジオで流行中の70’sディスコミュージックばりに早くなったに違いありません。

なんてこった。。あの学生が言った通りじゃないか。。

ルメジャー氏の心境は察するに余りあります。

「ダイジョウブかだって? そんなことあるワケが。。。

   。。。。ってあ、ホンマや!

と、日本の某お笑い怪獣の超鉄板ネタを、35年前に一人でやるハメとなってしまったのです。


学生の、たわいもないと思ってあしらった電話から。。

バカでかすぎるミスを発見してしまったのです。

■ボルトで強度低下

不運は続きます。ルメジャー氏は都合の悪いことを思い出しました。

鉄骨メガブレースの現場接合は設計図では溶接としていたのですが、施工の時に鉄骨業者の工事費削減の要望(VE)でボルト接合に変更されており、これによりブレースの強度が設計時より低下していたのです。

前述の45度方向の風の時に増えた柱の力はメガブレースにも影響し、それの力をも増加させてしまいました。

その結果、45度、 プラス ボルトのせいで、今やブレースの力は設計時の1.6倍になってしまったのです。

さらに氏が改めて現況の「立っている」ビル全体の耐風強度を計算した所、再現年数16年:たった16年に1回来る程度のハリケーンで当ビルは崩壊の可能性があるということが判明したのです。逆数で言うと、1年のうちに崩壊する確率が1/16だと言うことです。

16年。。極めて短い。。

オレは今52歳。もう3回は「壊れて」るよ。。

ルメジャー氏が力なく。。自虐的に笑います。


今は7月。今年の秋にでもちょっと強めのハリケーンが来たら。。ニューヨークのど真ん中でとなりのビルをなぎ倒しながら。。倒壊するかもしれない。。。

どえらい事態じゃないか。。。ルメジャー氏の眠れぬ夜が始まったのです。

■7月  苦悩、不安から決断、改修へ

ルメジャー氏は当時、「この問題に気づいているのは世界中で私一人だ」と思ったとのことです。

「車のドライブ中にハンドルミスを装って死んでしまおうか」とも。

地に落ちる名声、巨額の賠償金。。それよりもまず何千人が働くビルが嵐の吹き荒れる

中、NYのど真ん中で倒れ落ちる。。しかもビルの中の人のみならず周囲の人をも巻き添えにして。。

凡人だったらこんなときどうするでしょうか。


7月末、眠れぬ夜に苦しんだ末、ついに氏は腹を決めました。

この事態を、然るべき人に伝達し、協力を仰ぎ、すでに立っている超高層を改修しよう、と。。

ニューヨークのハリケーンのピークは11月。それまでになんとかせねば。。それを8,9,10の3ヶ月で。。

前代未聞、「もう立っている」超高層を超、猛スピードで補強改修するプロジェクトが、音もなく幕を開けたのです。■8月  キックオフミーティング  極厚鉄板の「バンドエイド」

月が明けて8月。氏はさっそく施工した建設会社や顧問弁護士、保険会社などと連絡。そして最重要、ビルに入居しているシティコープの理事などにコンタクトを取りました。

打ち合わせの大きめ丸テーブルに集まった席で事態を知った理事。自分が毎日座っているビルにそんなことがあるとはビックリでしたが、ルメジャー氏の計画を即決で了承。全面協力を約束しました。

実際の補強方法としてはメガブレースの仕上げ(カバー)をはがし、ボルト接合となっている箇所に厚さ50mmの補強プレート全200箇所を溶接し、ブレース耐力を上げることとしました。

それはちょうど、傷のついた腕に極厚鉄板の「バンドエイド」を貼っていくようなものでした。

打ち合わせのあと、ルメジャー氏は事務所の若手スタッフに、この「バンドエイド補強」案をブラッシュアップするよう命じました。彼らは連日、夜を徹し、一日も早く補強設計図を描き上げ、鉄骨業者に渡せるようにと目にも留まらぬ早さで製図板を操ることとなりました。

■もしゴリ押ししてたら。。

なお非常に幸いなことに溶接をしようという箇所は建物内=オフィススペース内にあり、そこで作業ができました。

実は設計当初、ルメジャー氏は特徴的なV型のメガブレースを建物の外に出し、ビルのファサード(外壁)に表現することを建築家のスタビンス氏に提案していました。

しかしスタビンス氏は気に入らなかったのかそのアイデアを却下。ビルの外壁はヨコ窓が連続するおとなしい表情となり、代わりにブレースは外壁の内側の屋内に設けられました。

これが吉と出たのです。何という幸運。何が幸いするかホント分からないものです。

これより超高層の外壁に天文学的なお金を費やして総足場を組み、転落の危険と隣り合わせの屋外で作業するような事態は免れたのです。

もしルメジャー氏が自分のアイデアをゴリ押ししていたら。。それは自分の首を締める行為となりかねなかったのです。

(打ち合わせ室から垣間見えるメガブレース)

ルメジャー氏は打ち合わせの席で屋内からのブレース補強法を理事に説明。するとさっそく理事はその場で部下に命じ空室となっているフロアのメガブレースの仕上げをひっぱがしてみました。

すると想定通りボルト接合部が。これなら屋内から作業できる、と一同安心したのです。

■いざ決行  真夜中の侵入者

補強方針は決まったものの、これを表立ってやると入居テナントが不思議がってしまい、最悪パニックとなってしまいます。これより改修工事は夜間に秘密裏に行うこととしました。


夜、ビルのオフィスワーカーが全て帰途につくと、溶接工たちがルパン3世あるいはキャッツアイの美女三姉妹(古っ)、行くぜっ!怪盗少女っ(今どき)と、照明の消えたオフィスへとこっそり「忍び」込みます。

そしてこれまたこっそりと。。ブレースの仕上げをはがし、ボルト継手部をあらわに。

しめしめ。。あとはこれを頂戴するだけ。。じゃなかった。(ゝω・)てへ♥

えっとなんだっけ。。あ、そうそう!

溶接工は本来の自分の仕事。。例の「バンドエイド」をあてがい、火花をバチバチ飛ばして溶接を。。。

そして朝方。。最初のオフィスワーカーが再び出社してくる前に作業を切り上げ、バレないようにブレースに仮の仕上げを施し。。。また忍び足で帰って行ったのです。

ハリケーンピークの11月に間に合わせるため、「真夜中の侵入」は週7日、つまり、休みなく行われました。

深夜、暗闇の中で溶接を行ったため、溶接の火花でシティコープビルのメガブレースが暗闇のマンハッタンに浮かびあがり、よもや心霊現象?いやシティバンクの借金を払えなくて自ら世を去った経営者の怨念では?と囁かれたとか。(マユツバ)

(左:深夜のオフィスに忍び込み溶接 

右:NY真夏の怪奇!?:闇夜に光るブレースは債務者の亡霊!?)■TMD 電気なければタダのハコ

ルメジャー氏がひとり眠れぬ夜を過ごしていた頃、ひとつ、自分にとってラッキーなことを思い出しました。本ビルは当時としては先駆的なチューンド・マス・ダンパー(TMD)をビルの屋上に備えていたのです。

TMDとはビルが風で揺れた時にそれを打ち消す方向に動いてその揺れを小さくする、一種のおもり。約400トンもあるコンクリートのカタマリです。

そうだよ、アレ入れたんだよ、アレ。TMD。世界に先駆けてやっといてよかったよ、やっぱオレ賢いよな~タダ者じゃないなーどうだ、ワイルドだろぉ~と、最近見ない一発屋芸人のようにひとり自画自賛するルメジャー氏。

しかしすぐにそれは束の間のヌカ喜びに過ぎないことに気づいたのです。

氏の計算によるとTMDが正しく効けば、耐風強度:再現年数は16年から55年へと伸びるところでした。しかしそれは吹き荒れる嵐の中でもTMDが働けばの話。けどもしハリケーンでNYじゅうがブラックアウト=大停電したら。。? TMDは電気じかけ。電気がなければ動かないのです。

TMDとはまずビルの管理室でビル頂部の揺れを逐一モニターしそれをコンピュータ処理。そしてそれに応じて、電力でTMDの重りをビルの揺れと反対方向に動かすのです。

一番効いて欲しいハリケーンの時に停電してしまっては。。役に立つどころかまさに文字通り400トンの「お荷物」。

「TMD、電気なければタダのハコ」なのです。

「なんだよ!ダメじゃん!役立たず!」  嘆くルメジャー。

これより氏はブレース補強と並行して、ハリケーンの時にもTMDが自分の仕事をしてくれるよう、自家発電機をビルに追加設置してもらいました。

更に管理室に、当時には珍しく24時間常駐の技師を配属してもらうように頼みました。

配属された技師は決してTMDが止まらぬようにと換えの部品などを色々と調達。

その中でも最も重要な備品は

     「24時間気象情報を入手するためのデバイス」

               つまり小型ラジオ、だったとか。

TMDの担当技師。後ろがTMD   

ビルの揺れをコンピュータでモニター

TMDは電気仕掛け。アームやピストンシリンダで揺する
■ 新聞社のストライキ 17年の「緘口令」

今やこの秘密裏の大プロジェクトに関わる人数は巨大なものとなりつつありました。NY市当局も、万一、補強が間に合わず本ビルが倒れた場合の避難計画、対処案などを練っていました。

これらより、いくら秘密とはいえ、新聞社などのマスメディアも勘付き、抑え切れなくなっていたのです。

溶接の火花で漆黒の闇夜に妖しく光るV型ブレースが騒ぎに「火を付けた」のです(ウマい。ヤマダくんザブトンいちまい。)

これよりシティコープはルメジャー氏と連名で各新聞社あてに「ちょっとした改修工事をやっている」旨の声明文書、今で言うプレスリリースを出しました。

予想外なことにほとんどの新聞社は興味を示しませんでした。そんな中、最大手、ニューヨーク・タイムズ社の記者だけは興味を示し、ルメジャー氏にインタビューを申し出ました。

ヤバい、万事休すと思ったルメジャー氏。インタビューの席で、かくかくしかじかなのだがパニックを避けるためこのことは記事にしてくれるな、とお願い、いわゆる緘(かん)口令を頼んだのです。

しかし不幸中の幸いが。当時同社を含む大手新聞社の記者たちは一斉に長期ストライキをやっており、記事にしようにもそれを書く者がいなかったのです。

声明を出しても余り反応がなかったのもそれが理由。そしてそのストは補修工事が終わる頃までやっているとのこと。なんかマヌケな結果です。

この幸運により、またNYタイムズ社記者も約束を守り、この事件は17年間封印され、1995になってやっと。。公表されました。

1995に本事件の一部始終を公開した雑誌 “THE NEW YORKER” 

“The Fifty-nine-story Crisis” 「59階建ての危機」 と、その文中の挿絵のルメジャー氏

■9月  ハリケーンシーズン

なんとかハリケーンシーズンのピーク、11月の前に終わらせたい工事。氏は万一を考え気象士を雇い、風力などの気象情報について逐一助言を受けることとしました。

しかし災い重なるのか、不安的中、改修を行っている真っ最中の9月、くだんの気象士からニューヨークにハリケーン接近の一報が。

またまた万事休す、もはやこれまでかと天を仰ぎます。すると神に願いが通じたか、NY目指していたハリケーン、進路を変え、よそへ行ってしまいました。

■10月 ついに

時は10月。。幾多の困難を乗り越え、幸運と不運に弄(もてあそ)ばれながら。。必死の改修工事の末、シティコープタワーはついに蘇りました。ハリケーンピークの11月に間に合ったのです。

耐風強度は再現年数16年から700年へと飛躍的に伸び、今や耐風強度、地上最強レベルを誇るビルへとたくましく生まれ変わったのです。

秘密裏の巨大プロジェクトは終結し、幾多の関係者は静かに解散。それぞれの持ち場で人知れず胸を撫でおろしたのです。


■11月  エピローグ

(ルメジャー氏)いやいや。。タイヘンな仕事だったぜ。。

ま。。とりあえず無事に終わってひと安心。

今日からまた枕を高くしてベッドに入れるってもんだ。。

そうそう。。忘れてたけど。。アレをやらなきゃな。。

え?何かって。。? アレさ。。

延期にしちまった。。。ワイフとの週末のスシ・パーティをさ。。。。

そうしないと彼女、ハリケーンみたいに怒り狂っちまうからな。。

NYのヤツなんかより、オレにはむしろこっちのハリケーンのほうが手ごわいかもね。。

なにしろ16年どころか、月に1度は。。ヤツに殺されかけてるんだぜぇ~

その度にいっつも。。腕の傷口にバンドエイド貼るハメになってるからさ。。

おっと、オレの腕には溶接の火花飛ばさないでくれよな~

そんなの丁重に。。お断りさせてもらうよ~

どうせなら、ヒゲ面の溶接工より、NYいちの可愛い子ちゃんナースに手当してもらいたいねえ。

おっと、こんなこと言ってたら。。また新しいハリケーンが発生しちゃうねえ

やれやれ。。ア~ハ~? (アメリカンジョーク。二回目)

その2:分析編はコチラ


リンク

「公表」された雑誌 ニューヨーカー(既述) 記事を元にBBCが制作したドキュメントのyoutube(英語)

その1    その2  その3

なお、過去、上記を訳したものがNHKスペシャルで放映されたようです

シティコープ危機に関する記事 “Structural Integrity”(構造的な統合)

上記、ページ下方の女性(下写真)は冒頭、ルメジャー氏に電話した「学生」。しかしまさか自分の電話でこんな事態になったとはつゆ知らず。まあ秘密裏で行われたので当然ではありますが。 それゆえ上のBBCのTVを見て初めて知ったとのこと。

また彼女は「私はルメジャー氏ではなく、氏の事務所のスタッフと電話した」と言っており、直接telしたというのはルメジャー氏の思い違いかも。 まあ、これだけ色んなことが起こればそのくらいの勘違いも無理ないか。

本事件をまとめたブログ(日本語)


Tags:


Comments

“シティコープ・タワーの危機(1)” への1件のコメント

  1. […] 当サイトで以前紹介したシティコープタワーに関してはロバートソン氏はピアーチェック=ルメジャー氏の設計を照査する役割を担当しており、高ストレスで眠れぬ夜の日々となったとのこと。 […]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です